雄峰時代(昭和十年代=1935-1945)の書状

  • 2009/01/10(土) 12:22:29

<河田一臼記念館TOPへ>


桑原翠邦(本名:清美)先生からの書状



△大府三笠町宛の作品批評文
批評文封書

批評文ー後 批評文ー前


△翆邦先生は気さくに、河田先生宛の書簡を出しておられる。
   大丘三笠宛葉書表・翠邦   三笠宛葉書裏・翠邦


△一人住まいの大鳳町宛であるから、昭和14年10月に大邱に出向かれた翌年昭和15年2月の封書。5月には奥様等同居である。
   大丘鳳宛封書・翠邦




  金光葉書?表・桑原 金光葉書?裏・桑原 




 連島葉書?表・桑原 連島葉書?裏・桑原




一臼(雄峰)先生が大陸(大邱師範)に出向く一因ともなった、桑原翠邦先生からの葉書便。(昭和14年=1939)
    
翆邦・ペン葉書表

  「七月来肋膜にて病〜〜在御返事遅れ申し
天来先生没後は東京にも権威者少なかるべく 
満支にも無論えらい先生もよい資料も無く候
現代は書道界の渾沌時代貧困時代に付 志
あるものは所謂自主独往 自らが自らを養ふ以外に方途は無かるべく
但し国家的には有能の士は一人でも多く大陸へ渡るべきと存じ候
えらい先生には一生に一度會へばよいと小生は考
へをり候 回復をまって又改めて 敬具
                   九月五日

翆邦・ペン葉書裏



翠邦先生からの最初の書状を受けたのは、書道芸術院の講習会(昭和12年=1937)で東京に出向いた時である。
                                       S12封・桑原
「八月中ハ火曜夜分の外大概在宅のつもりに有り何時にても御来訪〜〜〜
只今一二人御いでの方も有り候日中はあつく候に付書道
芸術の講習に御出席夜分にても御遊来如何に候也
不取敢御考慮  敬具  八月二日      清美    河田様 」
S12桑原封書02 S12桑原封書01